サクラ!サクラ!
2010年3月29日(月)13:08:10井口 秀実 コメント »
風は冷たいが、今日は晴天。
太宰府でも桜が満開。
多分、今週が見どころ。桜の木の下でどんちゃん騒ぎをしたいな。。。
誰か幹事をやってくれないかな。。。?
2010年3月29日(月)13:08:10井口 秀実 コメント »
風は冷たいが、今日は晴天。
太宰府でも桜が満開。
多分、今週が見どころ。桜の木の下でどんちゃん騒ぎをしたいな。。。
誰か幹事をやってくれないかな。。。?
2010年3月18日(木)12:43:15井口 秀実 コメント »
数年来親しくしているフィンランドの友人からメールを貰った。
何と!何と!コソボにいると言う。これには驚いた。道理で、連絡がなかった筈と合点。持ち前のITスキルを買われて、コンピューターシステム周りを担当していて、前線には出ていないらしい。規則上、1年しか勤められず、5月には任期が終了、ずっと前からPKOをやりたいと思っていたとのこと。
コソボの子供たちはどうしているんだろう?何か出来ることはないか?
日本は平和だ。
この瞬間にも、世界の各地で民族紛争が起こり、人間同士が憎しみ合い・争い、戦闘が展開されている。日本はあっけらかんとして脳みそが腐りそうな程に平和な国だ。もっとシビアに、リーダーシップの取れる国・民族にならなくては!と思う。
2010年3月14日(日)23:35:35井口 秀実 コメント(2) »
ドイツからの大切なお客様を出迎えに、到着が早まることもあろうと、念の為に、早めに空港で待機。
空港のロビーは、香港からのフライトを出迎える人々と併せ、通関を済ませた日本人、中国人、台湾人などが続々と出て来て、ごった返している。こう云う風景もいいなあと思いながら、さて、肝腎のお客様は一向に出て来る気配がない。その内、さっきまでロビーを騒がしていた人達も一人、二人といなくなり、遂には自分一人になってしまった。「まだいますよね?」と出口係に訊くと、「まだいるようです」と。
そして、更に十数分。早めにと来たのは良いものの、既に1時間以上経過、人っ子一人いなくなってから20分は経っている、その時。出口の向こうから空港の役人らしき人が出て来て、「井口さんですか?お客様が・・・。」と、中に誘導された。そこには如何ともし難い顔をした彼が数人の役人に囲まれて、立ち往生していた。
「Oh…. Iguchi-san!」と破顔一笑。彼にとっては仏のように見えたかも知れない。
話を聞くと、持参した商品サンプルの関税が払えないのだと言う。到着したのは9時。だが、既に(そんなに早く!)両替店は閉まっていて、持ち合わせのない日本円に換えることも出来ない。ユーロで払うがどうだ、10ユーロ・おつりは要らないからと聞いても、「日本円でなければダメだ」と。彼としては、独力で解決すべく最後まで交渉を試みていたらしいが、万事休す。
「初めての福岡。当然、印象は悪いよね?」 こんな冗談を言いながら、空港を後に、ホテルに向かった次第。
その関税の額はたった7百円。数人の役人が、「日本円でなければダメだ」と、何の有効策も打てないまま、時間だけを浪費している風景。一人が100円カンパすれば、誰かが「じゃ、私が出しましょう」と言ってくれれば、或いは、「立て替えておきますから、お帰りの時に」と言ってあげれば、。。。。 そんな面倒臭いことでなく、誰かがポケットからお金を出して、貰ったユーロは翌日換金すれば、何の問題もなく解決し得た筈なのに、どうしてそう云ったことを臨機応変に出来ないのだろう。彼らは多分超過手当ても貰っているのではなかろうか?その出所は我々の税金。無駄遣いとしか言いようがない。
彼は、間違いなく、「先進国・日本」の印象を悪くしたに違いない。自分にも外国に行った時の最初の経験の良し悪しで印象が良い国と悪い国がある。
こう云う状況での対応が仕組みが出来る国にならなければ、観光立国云々も絵に描いた餅だろう。大袈裟に言えば、日本の国際性・政治や行政の後進性が問われるエピソード、その感を強くした一夜の出来事だった。
こんなことがあって、帰宅したのは23時少し前。こっちだって、融通の利かない日本の役人への印象は間違いなく更に悪くなっている。でも、そのお陰で、明日のミーティングは盛り上がるだろうな。

井口 秀実(いぐち ひでみ)
Don Iguchi
1947年、東京都(豊島区池袋)生まれ。
血液型 O型
1970年、一橋大学経済学部卒、三菱商事株式会社入社。
海外事業計画作り、米国コングロマリット企業との合弁会社経営スタッフ業務を経て、
研究開発斡旋・技術移転・ベンチャー投資などに一貫して従事、文系の技術部長(本人苦笑)。
米国ベンチャーへの三菱商事投資第一号・第二号案件を推進、また民営化後初のNTT海外合弁
事業を立案、その立ち上げに中心的な役割を果たした。台北時代は支店の現地法人化を実現、
その経営を担当。
「一見華やかに見える総合商社のメインストリームの部門ではなかったが、時代の先を行く面白い
経験を沢山させて貰った。」
"Japan as No.1"の時代にニューヨーク駐在、”失われた10年”の時代に台北駐在。
ニューヨーク駐在の頃、現地校に通う三人の子供を見て、色々なことを経験させる米国教育の
良さを実感。また、学校・コミュニティーとの付き合いを女房任せにしていたことを猛省。
(米国では全50州のうち40州を訪問。未だグランドスラムを目指す。)
台北駐在時には何度も台湾人のバイタリティーに元気付けられ、以来”新新新台湾人”を自称。
2002年、大学ボート部の悪友に「騙されて」、株式会社イーケイジャパン社長に就任。
2011年9月、取締役会長に就任。東京をベースに新たな悪だくみの仕掛け作りに着手。(笑)
テクノロジー、サイエンス、アートをテーマとした新商品群・事業の構築に挑戦中。
趣味:観劇、音楽・映画鑑賞、旅行、絵画鑑賞、読書、ゴルフ(3年間休業状態!)
趣味というよりも、「好奇心旺盛」。
「悪戦苦闘の毎日だが、こんな素晴らしい事業に携わる機会に恵まれたことに感謝!」
「休暇がとれたら世界遺産を見て周りたい...」
「リタイヤしたらマンハッタンに住みたい...」
三菱商事課長時代は、「”部長より怖い”と言われていたらしい。」
「最近はめっきり温厚になった。」